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2025年09月30日

板倉造りの自宅を建てる!【オカの板倉奮闘記3】

板倉造りの丹陽社モデルハウス
丹陽社は板倉造りを中心としてお客様の健康を考えた健康住宅を建てている設計事務所です。
一級建築士で当社の代表であるオカが、いかにして板倉造りと出会い、建てるようになったのか。
そこに至る経験を3回に分けてお送りします。

板倉造りの自宅を建てる?

板倉造り講習会
板倉造りの家の設計をマスターするために、いろんなところの板倉の家を見学にいったり講習会に参加したりしていました。

いろいろやっているうちに、岐阜の設計事務所のKさんが板倉造りの設計を始めるに際してのエピソードがしばしば頭をよぎっていました。

やっぱり、Kさんも安藤先生の板倉の記事を何年か前に読んで研究室を訪れ、教えを乞うたのです。

そうして、実際に板倉造りをずっとやりたいと思っていたのだそうです。

でも、依頼者がなかったのでKさんは自宅を板倉造りで建てたんです。

そして、住んでみて実感として長所や短所を把握したそうです。

その経験が、言葉に重みが出て説得力を増したといってました。

私は本気で思ってなかったんですが、いつしか家族やKさんに自宅を板倉で建てかえることを検討しているんだと口走っていました。

そのとき、建てるための資金のめどはまったくなかったんです。
ホント、願望を口に出していました。

2005年、3月半ばの年度末のことでした。
お付き合いのある信金さんが、融資の話を突然切り出しました。

「前からおっしゃっていた、板倉の家の事業資金うちで用意しましょうか?」

「いまなら、貸し出しに余裕がありますからいいですよ。」

私はぶったまげました。

信金さんのまえで、関西ではあまり知られていない板倉造りの家を、自宅兼モデルハウスとして建てて大阪に広めようと思っているとほらを吹いていたからなんです。

「ちょっと待ってよ。
あんまり真剣に考えていなかったんだから。」

これは内心の声です。こんなこと信金さんにはいえません。

黙っていると、信金さんはちょっとあせった感じで、「御社だけにできる今年度末までの措置です。」

「おっしゃっていた計画の予定がおありなら、ぜひうちでお借りください。」とお願いされました。

「いろいろ考えることもあるし、ほかに当てもあるので、今すぐには返答できないよ。もうちょっと検討させてよ。」

とりあえず、検討するといってその日は帰ってもらいました。

飛び越える!

「自分で自宅を板倉造りの家に建て替えてモデルハウスにする。
そうして、この関西地区に板倉造りの家を広めるんだ!」
という願望を口にしていました。

ホントは「いつかはそうしたいなぁ。」という言葉を飲み込みながらだったんです。

でも、思ってもいなかったんですが、取引のある信金さんが年度末のこともあってか資金の融資を言ってきたんです。

正直迷いました。
チャンスがきたと思うより心配が先に立ったのです。
こんな大きな資金を投じてうまくいくのかな?
仕事がとれずに、借金だけが残ったらどうしょうかな?
答えを出せずに思い悩みました。

そんなことがあった数日後、取引先の輸入住宅の分譲をやっている不動産やさんと些細なことで、言い争いになりました。

本当に些細なことなので、よく覚えていないのですが変更になった図面を早く仕上げてほしいとかいう事だったような気がします。

何回か小さな変更があって、たびたびの変更はこちらも忙しいから困るというようなことを言ったんだと思います。

よくあることなんですが、私は今までのうっせきが溜まっていたんです。
不動産やさんも、そういう私の態度をさっして不快に思っていたんだと思います。

「ちゃんとこちらの要望を聞いて動いてよ!!こちらのいう事に、すぐに対応できないのなら、うちでは必要ないんだよ。」

私は頭にきました。輸入住宅を始めたときの親しげな態度と裏腹な、ものすごく高圧的な言い方だったからです。

このころ不動産屋さんは、輸入住宅の販売が軌道にのり、だんだんと要領が解ってきました。

そうするとすべて輸入材にたよるコストが無駄に見え始め余分に思えるコストを見直し始めたのです。

輸入住宅の資材すべてをバイヤーから仕入れることがコストアップに繋がっているとわかってきたらしいんです。

このとき、不動産屋さんはデザインだけを輸入住宅からとり、構造は鉄骨をつかいコストを抑えようとしていました。

とうぜん、設計に対してもいろいろ注文がきます。
設計費用の削減も匂わせています。

私もここで不動産やさんに逆らうと縁が切れ、仕事がなくなるなと感じました。

それとは別に、板倉造りのこと信金さんの事もチラリと頭をよぎりました。

私はもう下請けとして便利使いされることがいやになっていたのです。

「わかりました。私には無理かと思います。失礼します。」

「売り言葉に買い言葉」頭の中でこのフレーズが何度も浮かびました。

結局、大体出来上がっていたこの設計代金ももらえず、この会社とはそれっきりになってしまいました。

飛び越えたんです!

もう引き返せない!

建築中の板倉造りの家
不動産屋さんにこれまでの言いたいことを言って、すっきりしたんですが、えらいことをしてしまったなという気持ちと、これで板倉をするしかないなという気持ちがわいてきました。

メインで仕事をくれていた取引先はなくなってしまいました。

新しく仕事を取っていく工夫をしなければなりません。

これをチャンスとして、うちの独自の構法として板倉造りをマスターしよう!

そのためには、一大決心をして自宅を板倉で建替えよう!!

信金さんには、改めて資金の融資をお願いしました。

もう引き返せません!

「さてと・・・・・・・。」
「さぁ、どうしようか・・・・・・。」

ここで、クリアしなければならない問題点をはっきりさせなければなりません。

○板倉造りの構造および詳細図面の作成

○狂いの少ない杉無垢材の仕入れ

○板倉造りに経験ある大工の確保

○地元大工への板倉造りの指導

○完成したあとの板倉造りの家の広報および受注

○足らない分の資金の確保

「おいおい、かなりいっぱいあるぜ。」

「大丈夫かナ・・・・、じゃあ無い!!!」

「もうやらなければ仕方ないんだ!!!!」

「もう、信金さんからもお金を借りてしまったし、月末には利息も合わせて返していかなければならないんだ!!!」

岐阜の設計事務所のKさんのことを思っていました。

「よし、Kさんに相談しよう。」

「板倉の構造に対してはKさんに設計依頼をして図面を描いてもらおう、そして勉強させてもらおう。」

岐阜まで行き、Kさんにいま抱えている問題点を正直にはなしました。

そうして、アドバイスをお願いしたんです。

Kさんは、快く承諾してくれました。

こうなるだろうことは、予測されていたらしいんです。

基本プランは、うちでするんですが実施設計はお願いすることとしました。

皆さんの協力


岐阜のKさんに実施設計はお願いし、これからそれをもとに板倉の家の納まりを勉強させていただくこととなりました。。

さて次は、狂いの少ない無垢材の購入です。

Kさんに徳島のN木材のTさんを紹介していただいたんです。

そのころ国産無垢材は市場ではなかなか手に入らなかったんです。

林産地まで直接行って買い付けねばなりません。

そこで、以前板倉の家を一緒に見に行ってもらった大工のYさんにお願いして徳島まで行ってもらうことにしました。

板倉の家の収まりを直接、徳島の大工さんに聞いてもらおうと思ったのです。

大工のYさんには、京都に板倉の家を見に行った後にもいろいろな資料を折に触れて見せていました。

Yさんは、口ではあんな事を言っていましたが、内心はすごく興味を持っていたのでした。

木材としての杉無垢材、板倉材を確認するために行こうと誘いますと二つ返事で承諾してくれたのです。

2005年5月、車で3時間かけて、瀬戸大橋をわたり徳島に着きました。

そうして、山元に向かい製材所に行って実際に板倉の材、柱や梁になる杉の無垢材を目の当たりにしたんです。

N木材さんの杉無垢材は安藤先生の指導の下、板倉造りに最適な狂いの少ない木材を生産しているのです。

N木材のTさんに案内していただき、いろいろ説明をしていただきました。

製材所の所属する大工さんの中に板倉造りのオーソリティの大工さんがいます。

その大工さんが木材をトレーラーで徳島から大阪まで運んでくるときに、一緒に来て、はじめだけですが建て方を手伝ってくれるという事になりました。

大工のYさんは、その大工さんに質問していろいろ疑問をぶっつけたり、勝手に自分で納得したりしています。

「ウン、はじめに現場でやり方を教えてくれたら、あとは、大阪の大工の手で充分創り上げることができるよ。」

大工のYさんは、にっこり笑いながら私を見て言いました。
最大の懸案事項がここで解決したんです。

「よしっ、何とかみんなの力をかりて、板倉の家がうちでも造れそうだ!!」

「がんばって、いいものをつくるぞ!!」

その日、徳島に泊まり、N木材のTさんや大工のYさんと交わしたお酒はホント、おいしいものでした。

私の板倉造り

板倉造りの家の内装
2005年6月に既存家屋の解体をはじめ、7月に着工しました。

図面はしっかり書き込みました。

構造図は、岐阜のKさんの図面を基に勉強もかねてわかりやすくを考えて描きました。

そのため、工事はそんなに難しくはなかったと後でききました。

でも、普段使う量の3倍もの木材をつかうので、大工さんの技量を発揮してもらわねばなりません。

はじめ、工業製品を組み立てることに慣れていた大工さんは多少の戸惑いを感じていたようですが、普段つかえていなかった技量を発揮できかっての「モノづくり」を再認識したようにみうけられました。

それはそうだと思います。

板倉造りは現代の軸組み工法の原型となっているモノだからです。

板倉造りは、大工さんの「モノづくり」の心を大いに刺激して、この住まいづくりにたいして、新しくいろいろな工夫や提案をしてくれました。

みんなで力を合わせた板倉の家は2005年10月に完成しました。

出来上がった家は外観のデザインは南ヨーロッパの輸入住宅風なんですが一歩、中に入ると、杉のいい香りが訪れた人を出迎えてくれるのです。

それは、この建物が、柱、梁だけでなく天井、壁、床まで杉無垢材におおわれているからなんです。

これまで輸入住宅の設計を中心にやってきましたので、どうしてもデザインがヨーロッパの住宅風になってしまいました。

いまは、日本の気候風土にあわせて設計をするので、だんだんと和風の匂いが勝ってきていますけどね。。

でも、新しい仕様の家を作っているという気持ちをもって建てています。

杉無垢材をはじめとする自然素材で囲まれた安全で健康的な家です。

この家を「 庵、咲う。  いえ、わらう。 」とし、

「 咲 庵  show’un 板倉造り無垢の家 」といたしました。

この家に住む家族の中で笑いが絶えないように、
笑いの花が咲き続ける家となればという願いを込めました。

築20年の板倉造り

築20年であめ色に変化した板倉造りの家の内装
自宅を板倉造りで建てて20年が過ぎようとしています。
年月が経って杉材の色も落ち着いた感じになってきました。
ところどころ 汚れや傷があるのですが、風合いといいますか、ちっとも気にならないのです。
住んでいる私たちはわからないのですが、訪問されたお客様は20年経った今でも杉の香りがしますねとおっしゃいます。

住み慣れて感じるのは、杉材で覆われた住まいは本当に落ち着くなということです。
やはり自然素材の持っている力なんでしょうか。
写真などはわかりません。ぜひ、板倉造りの家にお越しいただき五感で感じていただきたいです。

板倉造りの家は、この自宅を皮切りに30件以上を建てさせていただきました。
皆様に知っていただくため、この自宅をモデルハウスとしてこれから板倉造りの家を建てようと考えられているお客さまに公開させていただいています。

それだけではなく、お客様の了解を得て、現場見学会、完成見学会などもさせていただいています。
自宅としてのモデルハウスは築20年として見ていただいていますが、何人かのお客様に無理を言って築数年たった板倉造りの家の見学会もさせていただいています。
快く引き受けていただき、ありがとうございます。

みなさん、ご興味があれば見学会にご参加ください。

よろしくお願いします。

「丹陽社モデルハウス見学会」

弊社所長オカが初めて建てた板倉造りである丹陽社のモデルハウスの見学会です。
板倉造りの家に住み続けてわかったこと、経年変化や木の家のお手入れのこと、なんでもお聞きいただけます。
家を建てるなんて考えてない……でも大丈夫です!
無理なセールスはいたしません。
板倉造りの家を見て、触れて、知ってください!

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